追悼 [memorial]
はじめに
知っておられる方も多いかと思いますが、平成25年1月22日に理事長 高橋亨平が永眠いたしました。告別式も2月10日に執り行われ、たくさんの方に見送っていただき息子として大変感謝しておりますとともに、当HPで告知が出来ずに申し訳ありませんでした。
震災以降、中央産婦人科医院の仕事もこなしながら、「どうすれば子供達や妊婦を守れるか」、「どうしたら震災から立ち直れるか」、「自分が誕生に関わった子供達に何ができるか」等、本気で考え、行動し、全力で駆け抜けた1年10か月だったと思います。
その段階の途中で、除染や地域の不安やストレスを軽くするための団体として除染研究所が立ち上がり、他にも再生エネルギーを研究するために「えこえね南相馬」という団体も立ち上げました。
他にもWBC(ホールボディカウンター)を南相馬に入れるために動き、南相馬のガスの残量が少ないとの噂を聞けば経産省に連絡したりと、とにかく全力でした。
身内からすると、誇らしい気持ちと、もう少し自分の体を大事にしてほしい気持ちとがないまぜになったような複雑な気持ちでしたが、困っている人が目の前にいれば体が動いてしまう、という父の医者の本分だからしょうがないとも思っておりました。
ただ、自分一人でできたことではなく、病院のスタッフ、共感して協力してくれた仲間、病院の継続に力を貸してくれている先生、外から届く応援の声に大変励まされていました。 震災から1年経った平成24年3月に「俺の宝物はこの一年に詰まっている」と言っていた言葉が今でも忘れられません。
私個人と致しましても、父の残してくれた一番大きなものは人であり、協力していただける仲間であると実感しております。
この場でお伝えすることに迷いがありますが
私 高橋荘平が理事長に就任させていただく事になりました。
凄いのは父であり、自分ではないとの思いから辞退することも考えましたが、協力してくれている仲間が活動しやすい環境をつくる一助となればとの思いから受諾させていただきました。
あらゆる面でまだまだ至らないところが多いですが、南相馬で生まれ育った人間の一人として、また父高橋亨平の考えを理解している息子として、除染研究所の一員として、より良い環境を作るために頑張らせていただきたいと思っております。
この町が再生し、より良い街になっていく姿を見せられなかったのは残念ではありますが、どこかから見ている父に笑われないよう、今後も所員や協力してくれる仲間たちと歩んでいきますので、よろしくお願いいたします。
平成25年3月
一般社団法人 南相馬除染研究所 高橋 荘平
一般社団法人 南相馬除染研究所 高橋 荘平
2012年12月17日 高橋亨平先生誕生会の様子
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原町中央産婦人科医院ホームページ上にて公開されていたメッセージ
[2013/11/18 修正]